訃報。


 ラッシャー木村さんがお亡くなりになった。既に6年前には現役を退かれていたものの、享年68才。その早過ぎる死が惜しまれる。


 実は俺のプロレス原体験はラッシャー木村さんがエースだった国際プロレスだったりする。俺がガキの頃住んでいた広島の片田舎にはなかなか新日や全日は来てくれなかったが、どういうわけだか国際プロレスだけはしょっちゅう来てくれた。街中に「金網デスマッチ来たる!」というおどろおどろしい文字が躍った捨て看板が貼られていたものだ。当時、既に国際プロレスはノーTV。で、あるが故に全国的な知名度は低く、興行的には苦戦していたようだが、ガキのころから変人だった俺にはその「いかがわしさ」や「まがまがしさ」がもの凄く魅力的に思えた。渋る両親にねだってよく臨時のこづかいをもらって一人会場へ足を運んだものだ。そう、ラッシャー木村は俺にとって、ガキの頃からのアイドルだ。昨夜はしこたま号泣した。


 


 


 



 金網デスマッチは「どちらかが死ぬまで金網を出られない」というのが謳い文句だったはずだが、サービス精神旺盛な木村さんはなぜだか場外乱闘までしていたと記憶している。いや、笑ってはいけない。昭和のプロレスファンは実におおらかで、斜に構えたりしないで楽しむ術を心得ていた。


 残念ながらその後国際プロレスは活動を停止してしまい、木村さんはアニマル浜口さん、寺西勇さんと共に、国際軍団として闘いの場を新日本プロレスに移すことになった。そうあの伝説の「みなさん、こんばんわ」だ。いや、当時の試合会場は失笑に包まれていたし、猪木信者の友人にはしこたま馬鹿にされたものだが、そんなことはどうでもよく、俺のラッシャー木村が全国ネットでフューチャーされることがもうそれはそれは嬉しかったことが昨日のことのように思い出される。やばい、また泣きそうだ。


 


 

 
 謹んでご冥福をお祈りします。